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脱BigTecの話

…とタイトルを書いてから、うんそこまで大げさな「脱」はできていないんだけどな…と思いつつ。


先日、画像や動画アップロードは今後PixelFedやPeerTubeというプラットフォームに切り替えていきます、ということを書かせていただきました。

SNSだけでなくブラウザや検索エンジンも切り替えています。ブラウザは使い分けの必要性があって、長い間Chromeメイン+サブにVivaldiとEdgeを併用してきていましたが、最近になって使用端末のほとんどでメインをVivaldiに切り替えました。検索エンジンも最近DuckDuckGoをメインに切り替え済みです。


何がそこまでさせているかといえば、BigTecの広告ビジネスとして、ただ広告を見たくないとか、広告を非表示にする権利を!とかいうこと以上に、「マジョリティの動向」とでもいうものを毎度、ほんとうに毎度毎度毎度毎度、目の前に並べ立てられることにもう…うんざりしてしまって。

うまくいえないのですが、私のインターネット上の行動を追跡し分析し、似た傾向のユーザーの動向と照らし合わせ、ベン図の重なった部分を割り出して「いかがです?お気に召したでしょう?」って並べ立てる、あのやり口。


振り返ってみると、自分は「みんなこうだから私もこう」ということが比較的少ない状況で育ったと思います。

就学前に幼稚園や保育所等に通うことはありませんでしたし、学校指定の道具やバッグやの類もことごとく違うものを持たされました。はやりのものはあまり知らず、国民的アニメや娯楽番組、興行収入1位の映画なんかも、「流行っている・みんなが知っている」ということを理由に鑑賞に至るということはあまりありませんでした。人気アイドルグループは静止画像しか見たことがないうちに解散してしまったりしました。

それでも、実家を出て完全に自分の意志でメディアを通して鑑賞するコンテンツを選べるようになってからは、何かのきっかけで興味を持てば積極的に鑑賞するようにはなりました。なので「あれは観たことないのにこれは全話観てるの?へー意外!」みたいによく言われます。


そんな自分に対して、インターネットで何かをするたび、今検索した何か、今個別表示した何か、サインアップするときの必須項目で入力した何か、そういうもので必死に私をカテゴライズして「じゃあこれに興味があるでしょう?」と広告含む各種コンテンツを見せようとしてくるものがある。それが、本当にめんどくさくなった。


例えば、使われている音楽に興味があってコンテンツを個別表示したせいで、Instagramではしばらく某国ロイヤルファミリーのファン向けのリールが山ほど並びましたし、先日たまたま面白い蛸の映像に見入ってしまったせいで今は海洋生物→ペンギン→野鳥の動画あたりがバンバン流れてきますね。まあいいけど。


投稿する立場としては、Instagramには元々ごくたまにしか投稿していなかった自分ですしPixelFedのイタリアのサーバーに画像を投稿するようになってまだ1か月半くらいなんですけれど、思いがけず…なんていうか…うまく言えないんですけれど、PixelFedが普通にすごく楽しいんですよ。

結構長い間写真を撮ってきて、自分のコンサートのフライヤーにも使ってきたし別に人様に見ていただくという意味では自分の写真を表に出すのは初めてではないんですけれど、Instagramを始めたときは、世の中には「インスタらしさ」というお手本がすでにあって、そのためのフィルターや機能が揃っていて、トリミングも含めてなんかこうすべて「インスタらしさ」というところに納めないといけないというか意図しなくてもそこに勝手に収められてしまうというか、なんかそういうのが、意識していないつもりだったけれど自分にとっては意外と馴染めなさとして感じていたんだなあ、というのが初めて自覚できたというか。とにかくまず、PixelFedでは勝手にトリミングされたりしない。サムネイルもアカウントがあれば表示形式は選べます(Instagram的な正方形のサムネイルもありますが、オリジナルのアスペクト比を保ったままの表示もちゃんと備わっています)。Instagramでも専用アプリ等使用することで元のアスペクト比のままアップロードできることは知っていますし、それを使うようにはしていましたが、PixelFedを使うようになって、Instagramでは基本設定として「勝手にクロップされてしまう」ことがいかに嫌だったのか、初めて自覚したわけです。私は自撮りも含め自主的には人物写真は撮りませんし、食べ物の写真も上手ではないし、あらゆる意味でインスタっぽさというものが本当に苦手だったんだなと思います。

そして何より、PixelFedでは、いわゆる「インプレッション」の数値としてみればほんの小さいものかもしれませんが、ちゃんと見てくれる人が見てくれるということ(インスタだと見ず知らずのアカウントさんに反応いただけてもそれをきっかけに変なDMがきたりすることもあってがっかりさせられた)、自分がその写真を撮った時に撮りたかった色とか光とかいろんなものそのままのコメントとかしてもらえること。それで、初めて楽しくなったんですよね。私があの時見て「うわっ!」とか「ああ…」って思って写真に撮ったものを見た人に、あの「うわっ!」「ああ…」が伝わっている、っていう実感が初めて持てた気がしたんですよ。そして、自分の撮る写真が、いい意味でも悪い意味でもすごく自分の撮る写真だなあってちゃんと見えてくる。まあ自分が撮った写真だから当たり前なんですけど、ああこれが私には必要だったんだなあって思いました。


Instagramではできれば本業の宣伝もするつもりではいたんですが、いわゆる投げ銭システムとかを見てもまずはフォロワー数が一定以上の大きなアカウントにならないといけないんですよね。それってアーティストやクリエイターの味方でも何でもないと思えてしまうんですよ。結局はインプレッションとそれにかかわる広告のフローがどうかという話でしかない。一人であれちゃんと聞いてくれる、ちゃんと見てくれるオーディエンスに向けた投稿なんてどうでもいいわけです。


ちょっと別の話ですが、マイクロソフトのTeamsなんかでも、ある意味で同種のストレスを感じます。

たとえば日曜始まりのカレンダー表示を変更しにくいこと(私は月曜始まりで表示したい派です)、アプリ版ではなくWeb版で使用したいのに毎度アプリ版を勧められること、ログインのたびにカレンダーが「稼働日」(週末はオフの人々向けのもの)で表示されること…

設定しなおす手間は別にいい。でも、毎度毎度毎度毎度、自分の生活パターンや考え方は除外されているってことをわざわざ告げられるわけです。

これはアプリ版を使えばもしかして解消されるのかもしれない。でも私はWeb版で使いたいのです。だから仕方なく毎度設定しなおす。月曜始まりの表示方法は実はどうすればよいか一応わかってはいるんですが、設定そのものが事務所のシステムと結びついて作用する部分があり、タイムゾーンの問題が含まれてしまうため、その設定で変更するのは不可能です。なので日曜始まりで我慢しています。でもほかのものはほとんど月曜始まりで管理しているので、ミスが起きそうで怖い。

繰り返しますが、私はこの「毎度設定しなおす手間」が面倒で文句を言いたいわけではないんですよ…根負けして提供者が望むフォーマットや設定に無抵抗で従うのを待たれている気がして(大げさですが)、そこがどうにもしんどいというか。そんな感じです。…っていうか、なんでこんな基本的なことに自由が認められていないんでしょう。


Teamsその他で自分の意志と関係なく使わねばならない場面があるものは仕方なく使っていますが、選べるものはせめて選ぼう、ということで、冒頭にあげたようなことになっているわけです。


この状況も日々刻々変化していくものだとは思っているので、今後もあきらめず、自分が必要なものを必要な形で使える道を模索し続けたいです。



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