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笑いと喜劇

ブログ更新しようかな…と思うのは書くことが何となく思い浮かぶからなわけですが、もやもやと浮かんできたものをいざ形にしようとすると、まずこの「タイトル」で躓いてしまうんですよね…


とにかく…

喜劇ってなんだろう。笑うって何だろう。

…みたいなことを書きます。


私自身はTVを持っていないのでいわゆるお笑い番組とかのことはよく知らないんですが、笑うということについてはそれなりにいろいろ考えてきました。

「薔薇の名前」でも笑いは重要な主題の一つですし、ベルクソンとかパニョルとかの笑いに関する著作も読んでみましたし、ヤンソンのムーミンシリーズの中の短編「The Invisible Child」なんかでも、登場人物ニンニが取り戻していく感情の一つとして「笑う」という要素が出てきます(怒るという感情を取り戻したことでとうとう全身が見えるようになったニンニが笑っている様子の描写と挿絵で物語が締めくくられます)。プロコフィエフの歌劇「3つのオレンジへの恋」では王子が笑ってからストーリーが急展開していきます。


日常的なことで言えば、例えば写真をとるときに「はい、笑って!」みたいなのがどうも苦手です(写真をとられることが面白いこととして認識できないので笑う意味がよくわからない)。よく知っている人に会って挨拶するときに笑顔になるとかはわかりますし、自分もそれはそうなりますが、「笑顔はいいもの!スマイル最高!普段から笑顔でいよう!」みたいなのは正直なところさっぱりわからない。

以前利用していたSNSで「笑いなんて反射的で無意識なもの、コントロールして笑ったりしないでしょ?」という反論をいただいたこともあるのですが、それも私はあまりそう思わないんですよね…

笑う、というのはとてもはっきりした表現の一つであり、これは意識的に「表に現す」という意味でも表現だし、無意識に「表に現れてしまう」という意味でも表現です。この違いを認識しているか、している場合はいつどうやって認識しどのように自分の行動に反映してきたかというのが、きっとそれぞれの人の「笑い」に対する感覚の違いなのかもしれません。


こういう話を漠然と書き連ねているときりがないので、そろそろ本題に入りましょう…


私は、喜劇に教訓やもの悲しさや笑うことで生じる後ろめたさみたいなものが無い、後味が爽快な喜劇が好きです。

というわけで(?)、三大喜劇王は…私にとってはジャック・タチ、マルクス兄弟、バスター・キートンです!


ジャック・タチは初期のものはモノクロですが、よく知られた作品「ぼくの伯父さん」「プレイタイム」はカラーですし、あとの2組より新しめです。

軽やかで、しつこく深追いすることがなくて、少し皮肉を込めて描く対象すらも美しく可愛らしく、ちょっと羨ましくすら見えるという魔法を使えるのがジャック・タチです。目に入るもの、耳に聞こえる音の、ほんの些細な要素に可笑しみを見出す天才です。「プレイタイム」ラストなんて街全体がメリーゴーラウンドみたいでほんとに楽しい。相手が能動的に与えてくる笑いではなく、こちらが能動的に見出す可笑しみ。

観てもらわないと伝わらないと思うし、観ても「へ?どこがおもしろいの?」っていう方もいらっしゃるだろうなあと思うんですけれど、私はほんとに大好きです。


マルクス兄弟は典型的なスラップスティックです。作品の主題的には、特に権力者的立場の人などを虚仮にするとった行為も出てきますが、それらの権力者に全力で歯向かう手段が、なんというか、壮大な「ピンポンダッシュ」みたいな感じ?とでもいいましょうか…まあやられる側は迷惑な話ですが、バランスが絶妙なんですよね…そこらへんはもちろん完全に私個人のバランスと趣味ではあるんですけれど…

ある対象を皮肉を込めて描く場合の「作法」的なもがあるとしたら、立場的に笑いものにされる側にいるような人も笑っちゃうようなぎりぎりの線を狙うべき、みたいな感じに思っているんですけれど、そこらへん、マルクス兄弟は加減がうまいんじゃないかなあ、と。ただ、作品や場面によっては「ちょっとやりすぎでは」と思ったりもするし、今の社会では避けるべき誇張表現なども多少含まれるとは思います。


バスター・キートンは、喜劇というものを、純粋にというか技術的にというか、とにかくとことん追及して、雑念の混じる余地なく実現してしまっているのが圧巻です。

きわどいことをやるという点ではハロルド・ロイドだって同じ?はずなんですけれど…自分でも何が違うのかわからないんですけれど、ハロルド・ロイドだとどうしても落ち着いてみていられないし、楽しめないんです。

ただ、「何が違うのかわからない」とは書きましたが、わかりやすい違いは一応ありまして、バスター・キートン(のある時点からの作品で)は基本的にどんなシーンでも無表情です。真顔で何でもやってのけます。わからないのは「だからキートンがより好きだと思う理由のようなものが自分でもわからない」ということです。

心理学者アリス・ミラーの著作で彼の生い立ちからの分析を読んでから多少複雑な気持ちになると同時に、その徹底的な職人ぶり?というか圧巻さをより堪能できるようになったとも言えます。


さて…おそらく誰もが知っていて、喜劇を語るとなれば当然そこに含まれると思われるであろうチャールズ・チャップリンについては…書きません。なぜ書かないかといえば、率直に言って、私はあまり好きではないからです。上にあげた作品よりずっと前から観始めて、たぶん小学生のうちにすでに主要作品はすべて一度は観たと思うし、その後も初期の短編なども含めて繰り返し鑑賞する機会は十分にありました。それでも彼の作品が好きでない理由を述べるためには、自分にはもう少し深い理解と覚悟が必要なので、ここでは述べないことにします。ちなみに、もし一枚だけ彼の映画のDVDをもらえるとしたら(なんという図々しい想定)、おそらくもっとも喜劇性の薄い「殺人狂時代」がいいです。



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