フェイク情報と駅の階段の話
何か書かなきゃなーと思っていたので、先ほどちょっとツイッターで連投した話をこちらにもう少し書き足してみます。
2021年夏に東京で開催されたオリンピックに関するドキュメンタリーで、開催に反対するデモについての取材部分において、事実関係が曖昧な内容に対し補われた字幕が「不適切」であった、という報道が昨日流れてきました。
字幕内容が事実と異なった原因は「確認不足」とか「記憶が曖昧」とか説明されているようですね…はあ、そうですか。
デマとかフェイク情報の類がいったん拡散されてしまえば、後からどんなに「確認不足だった」とか「ちょっとした誤解があった」とか「言葉足らずだった」とかいって、釈明や謝罪めいたことをやったとしても、間違った内容のほうのイメージはなかなか払拭されません。真偽にかかわらず、情報はSNSなどを通して拡散されてしまう。そこにある程度知名度がある人や媒体がかかわっていればなおさらその拡散力に加速がつくし、それは不可逆性のものであり、正しい情報に置き換えることは非常に困難です。
などということを考えていて思い出したのは、駅の階段の上り・下りを表示する矢印のことです。
先日利用したとある駅のプラットフォームからコンコースに上がる階段、上りの側だけ垂直面に大量の矢印が表示されており、なんというか、圧がものすごかったんですよ。ちなみに階段の出入り口と踊り場の地面にも矢印はあるんですが、上り・下りそれぞれ同数でした。
そもそも下りの人に対する表示は、上る人に向けたそれに比べて、設置できる個所が限られてしまうし、目にもつきにくいので、気づかず逆行する人の数は多いように思います(もちろん表示に気づいても逆行する人は上り・下り問わずいるでしょう)。なのに(というか、だから、なのかもしれませんが)なぜ上る人だけがこうして圧をかけられねばならないのだ…と思うとなんだか腹立たしい。
さらにどうにも解せなかったのが、階段の垂直面に下向き矢印もぽつぽつ表示されていたことです。これは下る人には見えない。つまり上る人に見せるための表示ということになります。上る人だけが「こちら側を上れ、あちら側は下る人のためのものだと心得よ」と言われているわけです。ねえ、なんか不公平じゃない?
まあ確かに、上る人が矢印に従えば自ずと反対側が空くであろうから、上る人にも下る人にもスムーズな動線を確保する効果がないとは思わないんですけれど、前述のとおり、反対側を下りてくる人も少なくないので、それも避けねばならない。どうして上る側ばかりにその負担を強いるの…。
細かいことにいちいちこうして反応するのもどうかとは思いつつ。そして、それが最初の話とどう関係があるの?と思われてしまうかもしれないなあと思いつつ。なんというか、フェイク情報が拡散する過程も、ある意味でこういった駅の階段の上行・下行における情報量や意識、責任に対する期待値の差異のようなものに似ている気がしたんですよね。一方から見れば当然目に入ってくる情報が相手に見えていないところまでは仕方ないんですが、相手に必要な情報までこちらが考慮しなければならないことがあったりするわけです。「これはどういう意味だろう」と疑問を持ち、いったん保留し、不明な点を調べ、自分に見えていないものはないか用心深く確認するのはいつも決まってどちらか一方なんだよなあ、という。よくわかりませんけれど。
相変わらず考えが大してまとまっていないまま書き散らしてしまいました。

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