映画や本、etc.のこと ー Russian Ark (2002)
Mastodonで(あるいは以前Twitterで)日々のあれこれを読んでくださっている皆様にはおなじみ?かもしれませんが、私はよく映画の話をします。
といっても自分はいわゆる「映画好き」という方々とは比べ物にならないほど鑑賞の範囲が狭く、そのかわり?というのも変な言い方かもしれませんが、観るとなったら何十回も、うっかりすると3桁回でも繰り返し観る、というタイプです。
本も割とそれに近い傾向があって、読むスピードは以前はまあまあ速かったと思うのですが、今はかなりゆっくり読みますし、以前読んだ本もよく繰り返して読みます。
その「批評」のようなものを披露する意欲はあまりないのですが(批評という分野には敬意をもって接したいと心掛けているので)、今朝なんとなく映画のことをMastodonに書きながら、もしかしてこういうちょっとした感想や紹介ならブログに書いてもいいかもなあ、という気になってきました。
そもそも映画や文学、美術や建築など、なるべく幅広い題材に言及してプログラムノートを書くようにしていたので、その延長として、というか。
というわけで、今回はとりあえず先ほどMastodonに書いた映画の話題から転載します(少し加筆修正しています)。
今日はA.ソクーロフ監督「Russian Ark(2002)」についてです。
A.ソクーロフ「Russian Ark」、邦題が「エルミタージュ幻想」だったのはつくづく残念だと思っています。
というのを今ふと考えたのは、最近の映画やMVなどの撮影風景を見ていて、今の各種録画機材や録画システムなら「Russian Ark」撮影チームにとってはもう少し楽だったのかもしれないな、と思ったからなんですけれど。
とにかくこの作品、日本語で目につく作品解説で真っ先に挙げらるポイントとなっていたのが「90分をワンカットで撮影」した「夢のような、ファンタジー、幻想的」という文言だったのを覚えていますので、いまだにこの映画のことを思い起こすとそこら辺の文言が脳内合成されて「ワンカット撮影のファンタジー映画!」みたいな謳い文句?が条件反射的にで出てきてしまうくらいです。
実はそのせいで(というと「なんで?」と思われるかもしれませんが)、少なくとも私は最初に宣伝というか何かの紹介記事をを見たときには全然この映画に対する興味がわかなかった。むしろ、なんというか、期待値の低さマックスだったんですよ。自分は映画の撮影技術や手法から映画を見るタイプではないし、ファンタジーにリアリティも求めないから、文言と共に挙げられた映像から受ける印象にどうにも乖離があったし。
で、ずいぶん経ってから、なにかのきっかけで「あれ、どうもそういうことではないらしいぞ…」というのがわかってきまして、DVD買って観てみたら...ほんと、全然違うじゃん!って思った。もちろん観る前から勝手に宣伝文句で的外れな想像をしたのは私なんですが、あれを「ファンタジー」って…いうのかねえ…まあ実在したとはいえ完全に過去の人物と対話するので妄想ではあるんですけれど…それを言いだしたら歴史ものの映画やドラマは全部「ファンタジー映画」になっちゃいますよね…
そして、ワンカットで撮ってるのはもちろん事実ですし、幸か不幸かわかりませんが宣伝のおかげで観る前からワンカット撮影の作品であることは知っていたわけですが、観始めてしばらくそのことは忘れていて、その点に圧倒されるのは少なくとも映画の途中あたりから、そして鑑賞後にじわじわと「なるほど、そういうことか!」って押し寄せてくる感じでした。
ワンカットで撮ろうとしたのはなぜなのか。そしてどうしてタイトルがRussian Arkなのか。
この作品で描こうとしたのは彼らのリアリティであること。それを90分の映像と音声で綴ることもそこに現れる人物たちもその対話も、前述のとおりすべて確かに幻影ですよ。でも、その幻影を私たちは何を通してみているのかということ。現在のこの一瞬がすべて長い長い過去と同じ空間で繋がっているということ。
そういうことを描こうとした作品でしたよ...まったく、あやうく観ないままやり過ごすとこだった...と思ってからもうずいぶんたったんだな...(DVD買ったのは10年以上前だとは思うので…ほんとに買ってよかったです)
もしも未見で、「へえ、どんな映画だろう?」と思ってくださったかたがいらっしゃいましたら、Wikipediaならせめて英語版をご参照くださいね...日本語版はほんとに誤解を招く文言が多い…と個人的には思います。

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