音楽家の才能

先日アップロードしたバッハのインヴェンション第1番の動画をさっそくご覧くださいました方、ありがとうございます！

コロナ禍突入でピアノのコンサート会場を失ってから、なんとなくずっと「今後私の演奏を聴いてもらう機会なんかあるんだろうか」と弱気になっていたので、さっそく閲覧数が出てホッとしたし、やはりうれしいです。

今までVimeoにアップしてきたのはコンサートチケットの宣伝用だったので、新作は無料公開ではなくちゃんと仕事として成立させていかなければ…とは思うのですが、まずはこれでよかった。

今までにもスピネットチェンバロでの演奏は何本かVimeoにアップロードしてきましたが、いまさらながらスピネットチェンバロって何？というのを軽く説明いたしますと、シンプルに言って、小型のチェンバロです。チェンバロはほかにハープシコードやクラブサンなどの呼称でもおなじみですが、これらは言語の違いであり、実際はほぼ同じものと考えて大丈夫です。これらの中で特に小型で一段鍵盤が弦に対して斜めに配置されたものがスピネットと呼ばれます。四角いものはヴァージナルなどとも呼ばれます（主に英語圏）が、そういう形状のものも含め、スピネットという呼称で絵画に登場する例も多くみられます。

チェンバロは基本的に自分で調律します。私はなかなか平均律の世界から抜け出せずにいますが、最近少しずついろいろな音律にも挑戦しています。電子チェンバロだと操作一つで次々いろいろな音律が試せるのはちょっと羨ましい…

さて、タイトルの件です。

よく「音楽家になるには絶対音感とか必要なんでしょう？」とか聞かれます。

まあ、そうですねえ…自分の場合は一応その「絶対音感」というものはあるんですが、だから音楽家になったとかいうことは全然ないと思っていますし、経験を重ねれば重ねるほど、うん、あまり関係ないというか、あると便利だなーくらいのものでしかないんじゃないかな、というのが正直なところです。といっても現世？では少なくとも「絶対音感がない人生」を辿れないので、やっぱり必要なものなのかもしれないですけれど…

たとえばチェンバロの調律ですが、私はもちろんチューナーを使います。チューナーに一音一音合わせていくわけではないですが、確認や目安のために私には必要です。自分が見る限りでは調律師さんも基準音をとるのに音叉を使うのはごく一般的なことだと思います。こういう緻密な作業が「音叉やチューナーなしでできる」ような能力が「絶対音感」と呼ばれているわけでもないようですし、他のものでいうなら、秤がなくても小麦粉100グラムが大体ピタッとあてられるとか、コンパスがなくてもきれいな円が描けるとか定規なしで割とまっすぐな線が引けるとか、温度計がなくても今日のお風呂は41度だなとわかるとか、まあそんな感じかなあ…と思うんですよね。たとえば「この線の長さが道具なしでも56㎝だとわかる能力がなければ建築業には向かない」等とは思わないのに（思いませんよね…？）、なぜ音楽家は絶対音感が必要だと思われてしまうんでしょう…不思議です。

ほかにも「一度聞いただけでぱっと音楽の真髄をとらえる」「なんでも”耳コピ”で演奏できる」とかも、いや、まあ、例えば耳コピは、それだけやれって言われたらやるけど、なんというか…聞いたままを丸ごと覚えるのかというと、うーん…そんなあやふやな方法よりも、むしろ理論的に構成がわかるので聞きながら分析して構造をなぞっていく、というほうが近い気がします。

実際のところ、私にとっては、耳コピで演奏するより楽譜を読むほうがはるかに楽です。いや、楽というのもちょっと違うかもしれないんですが、「聞いて把握した音楽を脳内で再生する」というリソースを割くより、楽譜から音として物理化させるためのイメージのほうが、物理化に必要なリソースをよりたくさん確保でき集中できるというか…うまく説明しきれませんが、「音声信号として脳内に入った誰かの演奏をいったんニュートラルに記号化して作曲者の意図にさかのぼり組み立てなおす手間」は自分には結構めんどくさい。なので、なぜ「才能がある人は一度聴いたら音楽の真髄がとらえられるものなんだろう」などという幻想が生まれたのか、正直さっぱりわからないんです。

たとえばですが、Ｌ.オリヴィエの「ハムレット」を一度観ただけでハムレットをどう演じるべきか理解した！とか言われても、他の人の演技や演出は観てみないの？まず原作を読み込んだりしないの？って思うじゃないですか。でも演奏家は「一度聴いたら自分のものにできるセンス」とかいう具合に描かれがちなんですよね…。

私には才能ってものがあるのかどうか…どうなんでしょう…。