「スポットライト」と「VICE」②
前回の冒頭で「この2作品は共通のテーマとはいえない」と書いたのですが、読んでくださっている方々はきっとすでにお気づきの通りで、どちらも実話に基づいているということ、描いている時代がちょうど2001年を中心としたあたりであるという点は共通しています。そして実際、この2001年前後という時代を描いているという点がとても重要であり、私たちが日々接してきたニュースメディア各種の分岐点のようなところがあるのかなあ、という気がするのですよね…
というわけで、今日は「VICE」のこと、そして2作品のことを少しだけ比べながら書こうと思います。
「バイス(原題:Vice)」はジョージ・W・ブッシュ政権時の副大統領ディック・チェイニー氏について描いたアダム・マッケイ監督による2018年のアメリカ映画で、2018年末に米国公開、2019年春に日本公開されました。主演クリスチャン・ベールは役作りでの変貌ぶりがたびたび話題になりますが、この映画でも私自身の感想としては大げさでなく「ああほんとだ、確かにクリスチャン・ベール…だな…」と思えたのは2カットくらいでした。
実話に基づいている映画では事実関係と映画での描かれ方などいろいろ気になってしまい、特にあらすじをまとめるのが難しいなあと思うので、今回もWikipediaから転載させていただきます(ちょっと長いですがこれ以上短縮できそうにないのでこのまま転載します)。
この映画のナレーションは、アフガニスタン戦争とイラク戦争に従軍した架空の退役軍人であるカートによって行われる。
1963年のこと。ディック・チェイニーはアルコール依存症のためイェール大学を中退した後、ワイオミング州で架線工夫として働いている。チェイニーが飲酒運転で交通警官に止められると、妻のリンは、自分の人生をやり直すように言い、さもなければ別れると言う。
1969年、チェイニーはニクソン政権下のホワイトハウスでインターンとして仕事に就く。ニクソン大統領の経済顧問ドナルド・ラムズフェルドの下で働きながら、チェイニーは妻と2人の娘、リズとメアリーとの約束をこなしながら、物事に精通した政治工作員となっていく。チェイニーはヘンリー・キッシンジャーがリチャード・ニクソン大統領とカンボジアへの秘密爆撃について話し合っているのを耳にし、行政府の真の力を見せつけられる。ラムズフェルドの攻撃的な態度は、ラムズフェルドとチェイニーをニクソンから遠ざけることにつながり、それが2人にとって有利に働く。ニクソン大統領辞任後、チェイニーはジェラルド・フォード大統領の首席補佐官に昇進し、ラムズフェルドは国防長官に就任する。メディアは後にこの突然の閣僚級の異動を「ハロウィーンの大虐殺」と名付ける。首席補佐官在任中、若きアントニン・スカリア(のちの連邦最高裁判事)がチェイニーに「一元的行政府理論」(注:大統領が憲法第2条により連邦政府の各省庁全てを一元的に掌握、指示を出来るとするトップダウンによる独裁的政治を可能とする理論)を紹介する。
フォード大統領が1976年の大統領選挙で負けると、チェイニーはワイオミング州から連邦下院議員に立候補する。ぎこちなくカリスマ性の無い選挙演説を行った後、チェイニーは初めての心臓発作を起こす。夫が療養する間、リンは夫に代わって選挙運動を行い、そのお陰でチェイニーは当選する。レーガン政権時代、チェイニーは化石燃料産業に有利となる多くの保守的で企業寄りの政策を支持し、連邦通信委員会の公平原則の廃止も支持した。これがFOXニュースや保守系トークラジオの台頭、そして米国における政党の二極化の昂進につながった。チェイニーは次に湾岸戦争中にジョージ・H・W・ブッシュ大統領の下で国防長官を務める。政治以外のことでは、チェイニーとリンは、レズビアンであるとカミングアウトした次女メアリーのことを受け入れるようになる。チェイニーは大統領に立候補するという野心を抱くようになるが、世論の支持が盛り上がらないこととメアリーをメディアの標的にしないために公の場から引退することを決意する。
チェイニーはハリバートン社のCEOとなり、妻はゴールデンレトリバーを飼育し、本を執筆する。映画は皮肉たっぷりの偽エピローグとなり、チェイニーが残りの人生を公の場でないところで健康で幸せに過ごしたと語られ、エンドクレジットが流れ始めるが、それは突然打ち切られる。
チェイニーは、2000年の米国大統領選挙でジョージ・W・ブッシュの副大統領候補になるよう要請される。ブッシュは自ら権力を掌握するよりも父親を喜ばせることに興味があるという印象を持ちつつ、チェイニーは、ブッシュが行政上の責任を彼に委任し、同性愛者の権利拡大に反対する共和党の姿勢にチェイニーを巻き込むことを避けるという条件で同意する。チェイニーは副大統領として、ラムズフェルド国防長官、デイヴィッド・アディントン法律顧問、メアリー・マタリン、スクーター・リビー首席補佐官らと協力し、主要な外交政策と国防に関する決定を管轄する。
2001年9月11日のテロ攻撃を受け、チェイニーとラムズフェルドは、アフガニスタンとイラクへの米国の侵攻を開始・指揮するために策動する。他にも副大統領時代の様々な出来事が描かれており、その中には一元的行政府理論への支持、プレイム事件、ハリー・ウィッティントン銃乱射事件、同性婚を巡る娘2人の間の緊張などが含まれる。チェイニーの行動は数十万人の死者とイラクのイスラム国(IS)の台頭につながったことが示され、その結果、ブッシュ政権の終わりまでにチェイニーの支持率は記録的な低さとなった。
再び心臓発作を起こしたチェイニーが死の床で家族に別れを告げるナレーションをしている最中、カートは交通事故で死亡する。 彼の健康な心臓はチェイニーに移植される。数か月後、落選に終わったワイオミング州からの連邦上院議員選挙の運動中の娘のリズが同性婚に反対すると表明した時、チェイニーは反対しなかった。これにメアリーは怒り、家族から距離を置くことになる。2年後、リズは嘗て父親が保持していた連邦下院議員の座を獲得する。激怒したチェイニーは「第四の壁」を破り、聴衆に対して独白を行い、自分のキャリアの中で行ったことに何一つ後悔していないと宣言する。
エンドクレジットの中ほどで、この映画を評価するフォーカスグループのメンバーの中には、この映画の効果やドナルド・トランプ政権について激論を交わすメンバーもいる一方で、それらの話題には興味を示さず、むしろ最新作『ワイルド・スピード』について議論したいメンバーもいる。
以上転載でした。
前回書いた「Spotlight」と同じく、これで映画に描かれた事実関係は把握できますし、あとはもう、未見の方には観ていただくのが一番ですが、こちらも「あらすじ」には書かれないけれど映画の中の重要なポイントなのではと思われる点をいくつか書き出してみたいと思います。
チェイニー氏はよく釣りをしていたようで、釣りのシーンは映画の随所に織り込まれ、仕掛けているのは誰なのか、食いついたのは誰なのか、そして何が起きていったのかということを隠喩的に、次第に直喩的に描き出していきます。
エンディングでは様々な釣り用の毛鉤が映り、バーンスタインの「アメリカ」が流れます。その前の場面からの流れで本当に皮肉に満ちた作りです(Scriptは意外と簡単にオンラインで読めるようなので、137分の映画を観る時間は取れなくても、この周辺はScriptだけでもご一読を…!と思ったりします)。
また、チェイニー氏が娘たちと釣りをするシーンではこんな会話が交わされます。DICKはチェイニー氏、 LIZはチェイニー夫妻の長女(元下院議員、このシーンでは8歳)です。
DICK: We find out what the fish wants, and in this case it’s a worm, and then we use it to catch them.
8YR OLD LIZ: So is it a good trick we’re playing?
DICK: It’s not good or bad. It’s fishing.
チェイニー氏の妻であるリン・チェイニー氏は、ぐうたらな生活を送る若き日のチェイニー氏との会話の中で「自分が女性だから果たせないことがある」と言及しています。また、ホワイトハウスにやってきてはしゃいでいる娘たちのおとぎ話的発想に話を合わせるチェイニー氏をこんな会話で諭します。MARYは次女で当時5歳です。
LYNNE: Girls this is not a playground, please do not--
MARY: Daddy! Is this where Santa lives?
DICK: Better than Santa. It’s where the leader of the greatest nation on earth lives!
MARY: Are you one of his elves Daddy?
DICK: In a way, yes.
LYNNE: No he’s not Mary. Your Father is Chief of Staff. Chief. Of Staff. (to him) Dick, if you’re silly with her she’ll grow up to be a silly woman.
DICK: Right of course, I forgot, that’s just silly, Mary.
また、どのように1940年代から続いていた「公平な報道」ルールが撤廃され、どうやってFOXニュースが台頭していったのか、メディアが用いる語で世論をどう煽ったのか、などがわかる場面があります。
映画の中盤、ブッシュ(Sr.)氏との会話とナレーションです。
GEORGE BUSH SR: Dick. I just wanted to say thank you for getting the House not to override the President’s veto of the fairness doctrine.
DICK: Not a problem. Happy to get rid of any big government regulations.
NARRATOR: The fairness doctrine was a law from the forties that required any broadcast TV or radio news to present both sides of an issue equally. Its repeal would lead to the rise of opinion news. …And eventually to the realization of Roger Ailes’ dream: Fox News. Which would go on to dominate all other news and swing America even more to the right.
「遺産税」という名称では世論が動かないと察してメディアに「死亡税」と呼ばせて広め、世論を煽り、富裕層にとって負担が重かった遺産税の軽減に成功します。映画の中では、「死んでも課税されるんだ、リベラル派はそのうち我々が泣いたり笑ったりしただけで課税すると言い出すぞ!」などと人々が発言する様子が描かれます。
また、人々が危機感を抱きやすい「地球温暖化 Global Warming」という名称の代わりとして「気候変動 climate change」という語に置き換えていったことも、ここで述べられています。映画で観ている時には気づかなかったのですが、Scriptで確認したところGlobal Warmingは大文字始まりなのにclimate changeは小文字表記で、たまたまなのかもしれませんが意図的なのかなあとも思いますし、なかなか考えさせられるところです。
あらすじにも少し言及がありますが、前述のエンディングの後(エンドロールの前)、「なんかこの映画どうも全体にリベラルに偏ってるな?」といった発言をきっかけに言い争いになるフォーカスグループ(商品や各種コンセプトについて消費者や受け手側として討論してもらうために集められたグループ)の討論の様子が描かれています。ここには今どの国でもきっとそれぞれにネットスラングなどとして見かける類の、ここにそのまま記載するのに躊躇するような、あまり品位のない「造語」の類が含まれています(人名をもじっていたり政治理念を揶揄する表現ですので一部伏字にします)。TERRIはグループの進行役、MARKとTURNERは討論の参加者です。
TERRI: Sorry to interrupt but Mark had something he wanted to share...
MARK: Yeah, something’s been bothering me this whole movie and I just figured it out. This whole thing is liberal. It’s got a liberal bias.
TERRI: Interesting. Does anyone else feel this way?
TURNER: This is all facts. I mean, they had to vet all this, right?
MARK: You would say that, ○ibtard!
TURNER: So because I have the ability to understand facts, that makes me a liberal?
TERRI: Guys let’s lower our voices.
MARK: You probably like Kil○ary!
うーん、書き出すときりがないですね…
ほんとに、未見のかたにはぜひ!実際ご覧いただけるといいのですが…
リアリティとしてどのくらいのものかはさておき、ラムズフェルド氏とブッシュ(Jr.)氏もほんとに、ああもうほんとに、うわあああああああこういう人よなああああそうかああああああああああ…ってなります(具体的に書ける自信がないのでただの叫びで恐縮です)。
Spotlightとの「比較」みたいなことはやはり難しいのですが、今回の冒頭で述べた通りで、どちらも時代として中心にしているのは2001年です。
2001年、今からすでに23年も前なんですよね…(月日の流れは恐ろしい…)
この2作品を通して見えてくるのは、とにかくこの時期にネットが新聞を脅かし始め、良くも悪くも、本当に様々な意味で、そして思ったよりも速いスピードで、あるいは思ったよりもひっそりと、情報の伝わり方が変化していったのだなあ、ということです。
Spotlightに登場するボストン・グローブ紙の新編集長はばっさりリストラをするという噂もあり、それでもまだこの時点では局内の様子として「そうはいっても大手新聞は生き残る」という余裕も見えています。
VICEの中では、そんなメディアがいかにして「意図的に世論を煽り動かすようになったか」という仕組みが描かれているといえるかもしれません(もちろんこれは多かれ少なかれもっと以前からあったことだとは思うのですが)。
Spotlightでバロン氏が枢機卿に慣例の「挨拶」に出向いた際、枢機卿は自身も新聞(教区の小さな新聞)の編集にかかわったことがあるので、町のために教会はあらゆる面で協力していくと伝えます。が、バロン氏は、メディアはいかなるものからも独立した存在であるべきだとしてその申し出を固辞します。ここにはまだ「メディアが果たすべき役割」の理想像があったのだなあ…と思います。
最後にVICE冒頭近辺のナレーションからもう一つ引用を。
いろいろあると自分のことで精いっぱい。労働条件が悪化してやっと巡ってきたオフの時間に難しいことなんか考えたくない。そこには忘我で踊りオフを満喫する人々が映し出されます。
SNSなんかでも内輪で楽しくワイワイやるようなムードが好まれ、「こういうところに政治の話を持ち込むな」「難しい話はよそでやってくれ」という空気が蔓延していたりします。わかる。わかるんですけれど、せめて、事実に目を向けることをあきらめさせようとする動きには抗っていかねば…と思う今日この頃です。
NARRATOR: As the world becomes more and more confusing, we tend to focus on the things that are right there in front of us. While ignoring the massive forces that actually change and shape our lives.
And with people working longer and longer hours, for less and less wages, when we do have free time, the last thing we want is complicated analysis of our government, lobbying, international trade agreements.
*翻訳業ではないので、このブログにこのような形で転載するときには訳文を添えていなくていつも申し訳ないのですが、翻訳ツールで十分意味はとれると思いますので…ご了承ください。

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