こそっとここで言ってみます
2012年のコンサートでムソルグスキー「展覧会の絵」を取り上げた際にいろいろ研究しました。
研究すればするほど、一つの疑問がわいてきます。(本当は一つどころではないけど。)
それは、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」という部分。
もともとムソルグスキーの原譜はスターソフなど周囲の理解者(!)によりさまざまに校正・校訂されてしまっていたこと、ラヴェルが管弦楽版に編曲した際にこの部分の解釈を「最初の部分が金持ち(金貸し)のゴールデンベルクの語り、続く部分が貧しく寒さに震えるシュムイレの懇願する様子」といった内容で言及していること。それらの理由から、皆さんあまり疑うことなくこの浸透している解釈を受け入れているようです。
でもねえ・・・
私ごときが言っても誰も耳を貸さないと思うので、こんなところでこそこそっと言いますが、たぶん、逆です。逆なんです。
その理由は当サイトのプログラムノートのタブから画像でもご覧いただけます。ただ、その時点では、自分なりには「逆」のほうの解釈で演奏しましたが、音楽学者として論文を発表する立場でもありませんし、なんかちょっと弱腰な物言いでしか書けませんでした。
でも、見れば見るほど、甲高い声でしゃべる側(寒さに震えて懇願しているとされる側)は、低いほうの声を威圧的に封じ込めていっています。まるでせせら笑うかのように。そして、その下でのたうち回りよろめくような低音。そうみれば、どう考えても立場は逆。
まあ、無名の一奏者の変わった解釈にすぎませんが、いつかこう言いだした人がいたら悔しいので。いちおう主張しておきます。

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