音楽創作とAI生成
- Jun 27
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Updated: 7 days ago
以前からMastodonで「いずれ書きます」と言いつつ先延ばしにしてきたこの件をそろそろ書いてしまわねば時機を逸してしまうので、書きます!
私が改めてここで説明するまでもなく、ここ数年でしょうか、AI生成と各種クリエイターの絡む話題で、しばしば「AIに仕事を奪われる」ことを懸念したり警告したり覚悟したりする意見が散見するわけですが、そのたびにもやもやするし、「そういう懸念を共有することそのものが悪手である」という意見には同意するのですが、その一言では説明しきれないいろいろがそこにあって、なんといえばわかってもらえるだろうか…といったことを考えてきました。で、相変わらずうまくは言えないし、ちょっと端々をMastodonなどで表明すると方向の違う反応が来てしまったりもする。なかなか難しい問題なので、慎重に書こうと思っていたらずいぶん時間がたってしまいました。
さて、どこから話しましょうかね…
まず、大前提として、音楽の創作(端的に言って作曲)は難しいのか、という話。
作曲をする上では、基本となるいくつかの理論があります。
私自身の専門分野はクラシック音楽ですが、ポピュラー音楽(雑なくくりで恐縮です)でも基本となるのは同じといえる部分が多い。例えば和声学(いわゆるコード進行)で見れば、言語における文法の基本事項と似ており、「主語ー述語」とか「SVOO」だとかいった文型と同様で、整理すればその仕組みは驚くほどシンプルです。
ただし、ここが面倒なところで、そういう仕組みを理解すれば小説などを書くことができる…はずではあるけれど、そういうものでもないというのは…おわかりいただけると思うのですが、いかがでしょうか。
たとえば「吾輩は猫である」の冒頭の文。文法的には至ってシンプルですし、同じ意味となる文章は何通りも書き記すことができるでしょう。また、いったん外語訳にしてそれを再和訳してみた場合に原文に戻るとは限りません。
とにかく、普段の言語を介したコミュニケーションに不自由がない程度の文法事項の把握と「文学的創作」は別物、ということはお分かりいただけると思います。一方で、内容や目的を指定して、意味が通り文章体裁上もある程度は整った文章をAIに書かせる、ということ自体はもちろん可能な時代となりました。各種の設定についても、すでに様々なものが存在しているわけで、猫が人語で思考する設定も前述のとおり既にありますし、転生ものや異世界的な設定も神話や伝説に様々な例がみられるし、「ファウスト」やらダンテ「神曲」やらもそうといえばそう。怪奇物の歴史だって古い。題材は豊富ですから、ある程度仕組みの複雑なものを組み立てることは可能でしょう。
音楽におけるAI生成も、まあそんなところです。
そんなこんなで、画像そのほかでのAI生成も含み、こういった「クリエイティブ」とされるようなジャンルでの「AI生成」が提供されることを「創作活動の民主化」であるとするような意見が散見することになるわけですが…果たしてそうなのでしょうか。
そもそも、AIで作曲ができるといったサービスはいつごろから始まったのかというと、非常にざっくりした時系列でいえば、それらしい形で登場したのは2010年代前半くらいといえます(そこに至るまでに様々な試験的なものは存在してきましたので「初登場」ということではありません)。その後、2010年代後半〜2020年代にかけて商用サービスが増え、一般ユーザーが触れられる機会も徐々に広がっていきましたが、性能的に上がってきたといえるのは実際にはここ数年くらいから…といったところでしょうか。なお、これは本当に雑な記述ですので、突っ込みどころはあると思いますが、前提にすぎませんのでまあ軽く流してください。
時代としてざっくり書いていますが、ちょっと視点を変えて、もう少し実感のわく事例を挙げてみましょう。
例えば著作権に抵触する可能性のある楽曲を大手動画プラットフォームにアップロードしようとすれば、即時に、それが「教育目的で視聴者が何歳以下のフェアユースに当たるかどうか、広告収入が発生した場合にそれを放棄するかどうか」などの確認事項がでてきます。それは私が把握する限り、2020年ごろにはかなり精度高く実用化していました。
つまり、既存の音楽は(市場に出回るものとして可能な限り大量に)データ化されているわけです。
このデータ化はそれなりに長い期間と予算をかけて周到に準備されたはずです。
このデータ化は一体何のため?AI生成を利用すればあなたにも作曲ができる!という「民主化」を目指したためでしょうか?
残念ながら、そうではない、と言わざるを得ないでしょう。AI生成による音楽創作体験ができるようになったことは、前述の例のような「検出機能のため」に整えた仕組みの副産物にすぎない、と言っても過言ではない…と思います。
最初に書いたとおり、音楽理論は意外と単純です。だからこそ、「いい曲」って似てしまうところがある。斬新で目新しい、なにか「珍しい構成」とかが可能かというと、例えば和声学の場合は周波数比率など物理構造ベースで成り立っているものだったりするので、無限の可能性で展開できたりはしません(計算上はもちろん可能ですし、すでに様々な「脱構築」例はあります)。
クラシック界の歴史に名を轟かせる大作曲たちも「この旋律はあの作曲家のあの楽曲からとった」みたいなことはたくさんしてきていますし、剽窃疑惑として騒がれたような例だってたくさんあります。
ですから、現代において、大手エンタテインメント系企業はそういった騒ぎや裁判を未然に防ぎたいし、もちろん著作権も保護したい。話題のあの映画のこの主題曲が「何かに似てたら困る」んですよ、あらゆる意味で。
「AIに仕事を奪われる!」ことを懸念するなら、学習元となったものの提供者には利益をロイヤリティとして分配するのが解決策ではないか、という意見も見かけますが、これはこの文章の大前提から述べている通りで、極めて煩雑で困難です。「創作」といえども、根本の部分を理論と構造としてみれば「単純」すぎるから。ですから、AI生成物には著作権を与えない主義を貫いているし、この部分で「商売にはならない(しない)」ことは大前提なんですよね。
再度「吾輩は猫である」冒頭の分を例に出しますが、「私、猫ちゃん。」「俺は猫様だぜ!」はどうなる?
猫を犬に置き換えたらどうなる?
珍しい動物なら?
無生物なら?
主語を変えたらどうなる?
そう、きりがない。
いつも通りこれといった結論もなく書き連ねましたが、少なくとも音楽創作におけるAIについて私が抱いてきたモヤモヤとか視点を共有できたなら幸いです。












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